第22回:おしえて!マイルスト~ン「GHTって何?」

2024/10/22 UP | POSTED BY milestone

この連載は、milestoneのアイテムを作ってきた二人(西岡&吉田)の話を(#水曜ぶどう坂練 を一緒に走っている)ライターの萩原が聴いて、深堀りしていく架空のポッドキャスト番組です。

(ビデオチャット通話開始)

西岡:今日は10月25日にmilestoneTERADACHOで行なうトークイベント「グレートヒマラヤトレイルの歩き方」の予習をしようということで、飯坂大さんと根津貴央さんのお二人とビデオチャットをつないでいます。宜しくお願いします。

飯坂(以下、飯)・根津(以下、根):宜しくお願いします。

西:過去に大阪でGHT(グレートヒマラヤトレイル)プロジェクトの報告会をされたことはありますか?

飯:2017年に三回目の旅の後、今は無くなったパタゴニアの江坂店で。その後、私が個人で山道具・谷ノ木舎(大阪市中央区)でやったのが2021年でした。

西:お二人で大阪へ来られるのは久しぶりなんですね。

根:なんとなくアウェー感あります(笑)あんまり関西に知り合いがいないので。

西:今回の経緯としては、8月に行ったマサシ君のトークイベント「ウルルンGravel Bike Packing in Thailand」に根津さんが来てくれて、うちの会場や雰囲気も見てもらえたので、もしかしたらお願いできるかなと思ってオファーした次第です。

根:会場を見て、ここで報告会をやりたいなと思いました。贅沢な場所で贅沢な時間になるんじゃないかな。

西:milestoneTERADACHOを使ったトークショーイベントは、まだ始めたばかりなんです。飯坂大さんの写真もすごいなと思ってたので、まさか一緒に来てもらえるとは。トークショーの後1ヶ月間写真展という形で展示してもらえるので、その辺りも楽しみにしてます。

飯:10点前後用意していこうかなと思ってます。広い山域で長い時間をかけての旅なのでその中の一部にはなりますが、見ていただけることをすごく嬉しく思ってます。

吉:先月のマサル君のイベント「HIKE ICELAND-地図に線を引いた旅-」に来られた方たちとも親和性が高いんじゃないかなと思ってます。

西:流れ的にはめちゃくちゃ美しいなと。

吉:この「おしえて!マイルスト~ン」を読んだ方が、1人でも2人でもトークイベントに行ってみようかなと思ってもらえたらといいなと思ってます。お二人のプロフィールや経歴と、山や自然との出会いや接点から教えて頂きたいです。

 

・「コレなんじゃないか」

 

根:僕は小さい頃は山登りとかやってなくて。高校、大学と体育会系でバドミントンをやってたんです。大学の時は静岡に住んでいたので、今ではあまりよく無いと言われてますが(笑)毎年弾丸富士登山をしてました。富士宮口から夜11時にスタートして、部活の仲間とご来光を見に三回行きました。学生のノリで遊びで行ってただけで、山に興味は無かったんです。体力だけはあったので(笑)

約20年前、30歳くらいからソロで週末登山をはじめました。当時周りに登山をしてる人がいなかったので「なんで山登ってるの?」って訊かれることが度々あって。適当に受け流してたんだけど(笑)自分でも俺なんで山登ってんのかなと思ったら、登るっていうよりは、自然の中を歩いたり野営するのがすごく好きなんだなって自覚したタイミングがあって。そんな時にアメリカにロングトレイルっていうのがあると雑誌か何かで見て、2012年に36歳でPCT(パシフィック・クレスト・トレイル:メキシコ国境からカナダ国境までアメリカ西海岸を縦断する約4,200kmのロングトレイル)を歩きに行きました。

その前に2008年にハイカーズデポ(東京都三鷹市にあるULハイク専門店)が出来て、ちょくちょく行って、ウルトラライトハイキングやアメリカのロングトレイルのことを聞いたりするようになってました。自分がやりたい山の遊びは「コレなんじゃないか」というのを感じて、PCTへ行ったのが最初のロングディスタンスハイキングの経験でした。

2012年当時は全く知られてなくて、もっとこういう遊び方をする人が増えたら良いなと思って、ロングディスタンスハイキングをテーマにしたライターになろうと思って、コピーライターとして働いていた広告の会社を辞めて、フリーランスのアウトドアのライターなりました。

アメリカをよく歩きに行くようになって、山岳ガイドの根本さんと僕と(飯坂)大君で、2014年からGHTプロジェクトを立ち上げてグレートヒマラヤトレイルを歩くようになったというのが僕のざっくりした経歴です。

西:なるほど。大さんはどうでしたか。

 

・「山ヤバいな」

 

飯:私は東京に生まれてずっと野球少年で、大学までずっと野球をやってました。根津さんと同じように体育会系で、野球一筋で山も写真も全く興味なく、法政大学の八王子キャンパスで、陸上の為末大さんやオリンピックに出るような人たちが周りにいて、野球部にも甲子園経験者が多かったんですけど、僕は一般で入ったんです。その中でどう結果を出すかみたいな感じでやってました。

後になって考えると、高尾や周囲に山がある環境で生活していて、トレーニングで普通に山の中も走ってました。ただ当時はそれがトレイルランニングだとか、山を登ることがライフスタイルの中にある、みたいな意識はなかったんですよね。

いったん就職活動をしてみたんですけど、社会貢献であったり社会に対して意義を見出せるような仕事を見つけたいなと思って、これまで野球しかしてなかったんで、一度自分が生まれ育った場所から一番遠く離れた価値観の場所へ行こうと旅に出ました。そのときにカメラと出会って、写真を撮って表現したいと思うようになりました。

アジアを1年弱ぐらいバックパッキングで旅してるときに、するつもりがなかったんですけど、ネパールでトレッキングをすることになったんです。そうしたら本当にめちゃくちゃ感動して。山のスケールだけじゃなくて、もちろんそこに暮らす人たちにも。元々アウトドアや山っていうより、ポートレートや人の眼差しを撮りたくて旅をしてたんですけど、そこで山に出会っちゃって「山ヤバいな」と。山も気持ちいいし、そこに暮らす人達も両方に魅せられて。ネパール以外も全部良かったんですけどね。

帰ってきて自分の国をもっと大事にしたいし、もう一回ちゃんと見ようと自転車で日本を縦断しました。メッセンジャー全盛期だったので、まずはメッセンジャーしながら体力と整備の知識をつけてから、23歳の時に北海道から沖縄まで。これがテントや寝袋を使った初めてのアウトドアかな。そのあいだに屋久島や山にも登ったりして興味が出てきました。

もう少し深くアウトドアに関わりたいなと思って、パタゴニアの渋谷ストアで働かせてもらって、そこで出会った人達と一緒にアクティビティをするようになり、山に登る機会がどんどん増えて、山の写真も撮り始めました。

20代後半に差し掛かって写真をやっぱり職業にしたいと思い、都内のスタジオで四年間、タレントさん周りの広告やファッションの仕事をしながら下積みをして、その合間に山歩きをしていました。30代で独立して改めてもう一度ヒマラヤへ行って、エベレスト街道やアンナプルナエリアなど自分ひとりで行けるところへは旅をしていました。作品を撮って営業しながら、徐々にアウトドアのお仕事をいただく事が増えていきました。

自分で行ける範囲より先の、整備されてないそのままのライフスタイルが残っている場所を旅をして写真を撮りたいと思ってた時期に、GHTを知って根本っていうリーダーと出会ったのが30歳過ぎぐらいですね。

 

・GHTのはじまり

 

 

西:そこからGHTが動き始めるわけですね。ということは根津さんが大さんと出会ったときは37とか8だったんですか。

根:38歳だったかな。

飯:2013年から2014年の冬でした。

西:ということはちょうど10年目ですね。我々のmilestoneもちょうど10周年なんですよ。2014年からの同い年ということで。もしかして根津さんと僕は同い年ですか?

根:早生まれなので、石川弘樹、桑原慶世代です。

西:1個先輩や、失礼いたしました(笑)

飯:ほぼほぼ同世代ですね。

西:お名前が出た根本さんっていう方が、GHTの発起人ということでしょうか?

根:発起人ですね。彼は元々山岳ガイドをなりわいにしてて、ヒマラヤの未踏峰やヨセミテのビッグウォールも登る結構ガチな方で。ハイカーズデポの土屋さんとも仲が良くて、お店経由でつながったんです。根本さんは完全に「登る人」なので、ネパールには結構行ってて、現地の暮らしや文化にも興味を持ってたんです。グレートヒマラヤトレイルっていう存在を知って、これは歩く価値があるし、日本の人にも広めたいという強い思いを抱いたんですけど、とはいえロングトレイルの人でもなければ、それを発信するタイプの人ではなくて。僕はPCTを歩き終えてライター業もやっていたので「根津っち一緒にGHT歩きに行かない?」って誘われたのが最初です。

西:それが2014年?

根:2013年の末くらいかな。だだ、即答というよりはちょっと考えますねって。僕はネパールに一度も行ったことなかったし、アメリカばっかりだったからその時点では興味もなかったので。

アメリカから帰ってきて、スルーハイク(スタート地点からゴール地点まで一気に通して歩く)という行為は、もうやらなくていいかなって思ってたんです。これは良い悪いじゃなくて、好き嫌いの問題なんですけど、結局はゴールを目指す遊びでなんですよね。個人的にロングディスタンスハイキングの好きなところは、状況に流されることや、途上を楽しむこと。そこが登山とも違う魅力だなと感じていたし。

GHTをスルーハイクしようと思ったら根本と僕と大君となら出来なくないと思うんです。時間とお金さえある程度準備しちゃえば。通常五、六ヶ月掛かるって言われてはいるんですけど、根本もそんな気はさらさらなくて年一回、一ヶ月から二ヶ月行く計画だったので。

西:そうなんですね。

根:僕もその方がすごく豊かな旅ができそうだし、ロングディスタンスハイキングを楽しめるだろうなって思って、それでいろいろ調べてアメリカとは違う魅力が詰まってそうだし、それを体感して日本の人に広められたら、よりいいんじゃないかなって思って「やりましょう」と。その後に大くんがジョインするんだけど、なんのイベントだっけ。

飯:ヒマラヤが好きな違う個性を持った4人くらいのスピーカーが登壇するイベントで、根本がグレートヒマラヤトレイルというものに傾倒してるって話してたんですよね。こんな人いるんだ、こんな旅があるんだと思って、すげえ楽しそうだなと思って。僕は独立したてで山のスキルもアップしたいし、山岳的にもタフな人だし、根津さんもいろんな経験があって、ある意味引っ張ってもらえるんじゃないかって気持ちもありました。他にもやりたいって人はいたけど、さすがにそれだけの体力と時間を掛けて、山も人も撮るとなるとなかなかで。でも自分は体力あるしいけるかなって、参加させてもらえませんかって自分から「もらい事故」に行きました(笑)最初は5年ぐらいで終わるって思ってて、こんな壮大な人生をかける旅になるとは思ってなかったんですけどね(笑)

西:もう10年ですもんね。

飯:誰かがやってることをやりたくなかったし、誰かと競いながら早く行くっていう歩き方もしたくなかったんで、自分たちのラインを描くっていうことに意義があるなと思ってました。そういう意味でも今も本当にやってて良かったなとは思ってます。行けば行くほどセクションによる違いや時代の変化だったり、時間を掛けることでより理解が深まっていくし、自分自身も変化していくので、そういう意味では、初期の段階とはまた違った育ち方をしていて、良いプロジェクトになってきている気がします。

根本は谷口けいさん(日本の女性登山家の第一人者)とかいろんな方とアドベンチャーレースをやってましたし、いろんな履歴を持った全然違う三人が集まりましたね。

西:根本さんはいつ抜けられたんですか。

根:フェードアウトしてるんですけど仲違いしたとかではなくて。言うほどでもないと思ってあんまり表立って言ってないだけです。全然、隠してるわけではないですよ。2014年から五回一緒に三人で行ってたんですけど、根本の生き方を含めてプライベートの事情から、コロナ明けから彼は行かなくなって、僕と大君の二人で続けてます。

西:また新メンバーが加入することもあるかもわからないですね。

根:それは無いと思います(笑)

吉:そもそもなんですけど、GHTというのは現地の人が名付けたのですか?

根:元々の始まりは、ネパール政府とイギリスの国際協力団体が一緒に2011年に立ち上げました。ネパールってエベレストやアンナプルナ、ランタンとか有名なところにばっかり観光客が来てオーバーユースの問題があるんです。観光立国なので他のエリアにも観光客を呼びたいということもあって、GHTっていうネパールの東から西までヒマラヤ山脈を横断するトレイルを設定したんです。設定したとは言っても、アメリカや日本のトレイルみたいに何か新しい道を作って整備したってということは一切なくて。既存の生活道を勝手にGHTですって設定しただけなんですよね。なので道標も一切ないですし。

吉:無いんですね(笑)

根:だからどこがGHTかっていうのは、もうぶっちゃけわかんない(笑)一応ざっくりした地図はあるんですけど。ネパールあるあるなんですけど、ネパール政府はいつの間にか手を引いてて何もやってないです。立ち上げて以降の普及活動については、イギリス人のロビン・ボーステッドさん名義のガイドブックがあるんですけど、それをアップデートしながら基本的に彼メインで続けている状況です。僕らも2014年にカトマンズにたまたま滞在してたロビンさんと会いました。

飯:アジアでやってくれる人がいるんだったら、応援するから情報交換、情報共有していこうね、みたいな。2011年より前にネパールが政治的宗教的に不安定な時期があって、山賊が出たり主義主張が違って、ネパール人も海外の人も他のエリアになかなか行きづらいっていう状況がありました。それが落ち着いてそれぞれのエリアにその足を運べるっていうことでGHTもできたんです。多民族な国なんで相互理解というか、行ってみないとわからない部分を繋げるという意味では、ネパールにとっても重要な意味のあるトレイルなんじゃないかなと思って、それぞれの文化の違いや良さを伝えていければ面白いなと思ってるんですけど。

根:GHTというものが主題ではあるんですけど、トレイルだけじゃなくてヒマラヤ及びネパールの魅力を食や文化を含めて僕たちは味わっているので、その辺りを少しでも知って頂けたらうれしいなと思ってます。

飯:行ったことが無い方が多いと思うんですけど、既に持ってるヒマラヤやネパールのイメージがいい意味で裏切られると思います。人が生活している中を旅してるんで、遠いと思ってたけど、実は自分の裏山と繋がってるような話として身近に感じてもらえるじゃないかと。僕は元は東京に住んでいましたが、今は岩手に移住して子育てしながら住み始めてるんです。なぜ山に近いところで暮らしているのか、そういう変化も含めて今思うことろを語れたらと思ってます。

根津さんが歩いてる福岡の里山であったり、ヒマラヤと岩手にどんなシンクロを感じてるのかとか、そんなお話もできるかなと。

萩:トークショーではプロジェクトのどの辺りのお話を聴けるんでしょうか?

飯:10年間で7回行っているので、これまで全てのハイライトをお伝えしようとすると、三日四日掛かるので(笑)それをどれくらいの分量にして、最新の旅の内容をどれくらいにしようかというのは今、検討中です。

西:承知しました。では当日、宜しくお願いします!

根・飯:宜しくお願いします!

(ビデオチャット終了)

西:みなさん、こんにちは。毎月25日に配信しております「おしえて!マイルスト~ン」ですけども、本日10月9日に収録してます。今回は特別編ということで、グレートヒマラヤトレイルとは何ぞやというのを、我々も知りたいし知ってもらいたいということで、お二人にインタビューしました。

吉:部活の話から山との関わりがどう始まって、どこでGHTに出会ったかというところがわかりましたし、それぞれ何に重きを置いているのか、人と成りも知れましたね。

西:根津さんはライターで、大さんがカメラマン。ざっくり言うと根津さんがハイカーで、大さんが旅人というようなイメージですよね。二人のキャラクターが喋りに現れてて、大君がピシッとしてて、根津さんがふわ~としてる。バランスが取れてていいなと感じました。

萩:写真っていう視覚的な部分と、書いて言語化する側なので、逆かなと思いきや。

吉:キャラクターと職業が思ってたのと逆でした(笑)ゴールすることが目的というよりも、その過程に重きを置いて楽しんでると言うてはりましたね。ヒマラヤに憧れはありますけど、行かなくても山との関わりや世界観が広がりそうで、当日が楽しみです。

西:この「生きた道を行く」という本が素晴しくて。ライターとカメラマンですから。写真はもちろんレイアウトもテキストも。

吉:トークショーは定員40名で入場料が1,500円になります。写真展は10月26日から約1ヶ月間です。トークショーには予定があって来れないという方にも是非、見に来て頂きたいですね。エントリーはコチラから

萩:前回のトークショーからスクリーンも大きくなったので、大画面でスケールの大きいヒマラヤの写真が見れるのも楽しみですね。

西:あと告知しておくことありましたっけ?

吉:11月はOMM(オリジナルマウンテンマラソン)本戦にチームmilestoneで出店します。もちろん出走もします。「おし!マイ聴いてますよ」と言って頂ければ、ステッカーをプレゼントさせてもらいますので。

西:今年もあと2ヶ月ですね。駆け抜けましょう。

吉:ストロングフィニッシュで。誰かみたいに、レース途中で「もうやめる」とか言わずに。

萩:それは信越の…(笑)

西:えっと、今日はこの辺で!では当日をお楽しみに!

西・吉・萩:さよなら、さよなら、さよなら。

今回はアイテムの紹介ではなく、トークイベントの事前インタビューをお届けしました。普段ランニングや山でアクティビティをしているしていないに関わらず、山や自然に近い暮らしであったり、ヒマラヤやアジアの文化に興味がある方には、きっと楽しめる内容になるのではないでしょうか。

さらに予習をしようと@ght_projectのインスタグラムを眺めていると、時空を超えて心はヒマラヤへ。うっかり旅に出る理由を探してしまいそうです。では、話の続きは週末に。

文・構成/萩原 健

TOP / Column